十ページはたぶんなにかのジャケットの歌詞か、漫画のオマージュがあるなと予想している。
元のオマージュが分かると、更に含まれた意味が読み解けると思う。
仮にそうでなくても、このシーンは好き。
仕事として考えれば灯ちゃんの「処女を先生にもらって欲しい」は彼女の望みは女優として言ってはならない言葉だ。
一話にて、灯ちゃんが先生が撮った映画を見た。
灯ちゃんには自身には価値がないと思っていた。
他人からの評価で価値を得る。
価値と呼ぶか、承認欲求と呼ぶかは決めつけない。似て非なるもののような気はするけども、明確に分断出来るほどに隔てがあるものではないと思う。
話を戻す。
そこで「先生の作品(もの)」としての独占欲が見える。
64話で「僕の作った世界で、君の全てを見せて欲しい」の言葉としての回答が66話の灯ちゃんの言葉ではないだろうか。
ここで灯ちゃんが言ったことは嘘ではないと思う。
「処女を貰ってほしい」
「私の存在に価値があるならば、先生のものになれるかどうか」
「先生の作品(もの)になりたい」
描いている漫画は「仕事」として描いている。
大垣さんが西寺さんを評価している「最低限の常識」「礼儀」。
仕事してならば「最低限の常識」として仕事はまっとうしなければならない。
ここで西寺先生が灯ちゃんを抱けば、もしかしたら灯ちゃんの望みの一つ、西寺先生の「好きな人との情交」は叶えられる。
でも、この話はあくまでも「仕事」としてどうするかを選択している。
教え子であり好きな人であり、女優でもある彼女に出来ることは、映画監督として作品に収めること。
エグい別の顔を持った女優としての灯ちゃんと、複数の自分(先生、個人、監督、常識)に振り回されながらも「責任」として映画監督として撮る西寺先生の関係がまたいい。
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残念ながら生えていないのでどんな感覚かは予想がつかないが、きりんがすごく痛そうでした。
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