注意。
自分語りも入ってます。
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・OP
ブギーポップは笑わない、個人的にはこう、ああ動いているなとか、割りと原作にそったアニメーションにしているなって印象。先行配信のアベマで見ていたのとちょっとご飯をちょうど持ってきていたせいもあってopは宮下ちゃんの全裸走りという衝撃的なところから視聴。どうでもいいことだけど、笑わないを読むことになったきっかけはイマジネーターの全裸綺ちゃんです。全裸ってやっぱ見ちゃうよね。……でかい。
本篇
1.竹田が彼女と待ち合わせ
エコーズの浮浪者っぷりがやべえ。これは確かに助けるとも思いませんよ、ブギーポップさん。東京にはこんな人沢山いるよ。
後から気付いたけど、竹田と紙木城の二人が距離を離すことなく普通に登校している。
2.登校のシーン。新刻が門番をしているところ。
紙木城の「恋せよ乙女」を歌うように話すところは自然だけど、普通に言っちゃったかあと少し残念。ガチで歌うよりもメロディに乗せてているようなちょっとメロディーぽいなってくらいがあるから、このぐらいが自然な会話としての流れか。
屋上へ行く繋がりは上手いなと思った。
でもさ、あの先日見た黒マント(ブギーポップ)のことじゃなくて、宮下として認識するには無茶すぎないかい。そこは「この間の黒マント?」みたいな。いや、あの黒マント=宮下として分かっているなら、別に宮下と言ってもおかしくないか。それにしても識別能力ぱないな竹田君。
3.屋上にて、ブギーポップと再会。
ブギーポップのうさんくささ1200%。うさんくさいところはとても好きです。
うさんくさいけど、どう見ても左右非対称じゃないのはなんでだろう。終始口角が滅茶苦茶あがってて常ににやにやしているみたい。挿絵ではむしろ笑わないよりも、きりっと睨んでいるような印象があるせいか、ゆるい。でも、うさんくさいところがいいからいいか。
話し方もゆったり、まったりな、ゆるゆるブギーポップって感じな。
竹田が霧間誠一の著作を読んで二重人格について調べているシーンの後に、鏡を見る宮下の後ろにブギーポップが出ているのは何の必要があるシーンなのか、ちょっと首を傾げてしまう。PVで見た時はそこのシーン凄い好きだったのだけど、うーん、使われ方がもったいない。
(何度か見た今気づいたこと)末真の登場シーンで霧間誠一のシーンが出るけど、本がハードカバーどころか辞書レベルの大きさ。目測での推定、高さ25cm、厚さ5cmは固いと思うんだけど。これはくそみたいなあらさがし的なことだから、流してね。ああ、しかし気づかなければよかったかな。ちょっとしたギャグに見えてしまう。
・紙木城が家出
竹田が新刻から紙木城が家出、もとい失踪したことを知る。そういえば、新刻が竹田に告白したところまるっとカットされているけど、個人的に一番カットされて気がつかなかったところかな。
紙木城の失踪に冷たい反応のクラスメイトに
野暮なツッコミだろうけど、ちょいちょい、凪の首が切られて倒れているシーンや、マンティコアの釣られシーンは入れんでも良かったんじゃないかなあ。それこそカットすべきとこでは。
・ブギーポップとお別れ
折角のブギーポップの言葉なんだけど、竹田
・"入れ替わった"宮下
かわいい。うん、そこは満足です。こんなかわいい彼女持ちで将来決まっている竹田が羨ましいな!勝ち組ライトノベル主人公かよ。そうだけど。
二人仲良く下校して、新刻と凪と会うのですが……。
あとさ、あと、これファントムのせいでとても気になっていたところがありまして。
凪の一人称はちゃんと変えないよねって。
はーーーーー。ありがとう。
凪の一人称がちゃんと、本当に、本当にちゃんと""""""""おれ""""""になっていて本当にうれしい。なんでかって、旧作の方がある事情で凪の一人称が変えられたんですが、愚痴になるので省略します。インタビューで原作に忠実っての本当にありがたい。バンダナ姿の凪さんはなんのことだったかな。
・ED
原作本篇ではほぼほぼ見る事が出来ない。竹田と宮下のデートシーンが入ったED!
私には本篇で君らがまともに仲良くしているのが『笑わない』『ペパーミントの魔術師』だけだから、あーーーー仲良くしているのが動いているーーーーありがとうってなりました。
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二話
凪の一人称がちゃんと俺になっているのが(略)
『炎の魔女、帰る』の落ちが見れなかったのが残念。学校の投稿名簿をハッキングしたり、薬に手を染めたクラスメイトを助けたり、エコーズと共にマンティコアを探す異常な行動をしていても彼女も一人の人間、クラスメイトとして暮らしているにのちは違いない。それを末真に思わせた、授業中で寝ている凪の寝顔を見てくすりと笑うところで日常を出す締め方が好きだったんですけど。うう、これが尺に縛られた末でのカットなら…うん。
マンティコアが舌足らずなのは縁起なのか声優さんの元の滑舌の悪さなのか。幼い感じがあってかわいいからいいや。原作よりも幼さを感じたけど、幼い子供の一途な恋って感じでかわいい。かわいいは正義なのでいいぞ。出番がこの笑わないだけなのが惜しい。もっと先の巻だったら出番があるけど、しゃべってないし、そこの出番は早乙女に対する回想がメインで出るか怪しいもんな。あれ、そこまでアニメをやると聞いたよ。ブギーポップから(つまりは嘘なのだが)
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三話
・無くなったマイスタージンガー
自然ではあるんだけど、そこでマイスタージンガー流さないと歪曲王の時の新刻の選曲と竹田君がムーンテンプルに入り込もうとしたきっかけが無くなっちゃうから、ほんと歪曲王どうなるんですか
ォロワーさんが先行上映会に行っていて、上映会後で感想とかを出していたのでそれを見させてもらったり、他に感想を出している人がいないか探したりと、いくぶんか何かみどころかは知っていたのですが、そう、相違点とかも知っていたんですよ。自分で見るまでは安易に言うのはよくないと思って、実際に見るまでは黙っていようと。
『笑わない』に於いてブギーポップがマイスタージンガーを口笛で吹くのはアニメで言う竹田と屋上で談笑している時と、マンティコアが新刻を襲う時の二回。
ないことは既に知っていたんだけど、これを削ってイマジネーターだけで終わるならまだ私も黙っていたかも……んなわけないか、不満はあれども
アニメの話数と原作の新装版の巻数の関係を考えると、『笑わない』『イマジネーター』『歪曲王』+α『夜明け』(後者二作品はまだわからないから、アニメになるかも知れないとしか言えないけど)になるんだよなあ。仮に『歪曲王』までアニメになると、ブギーポップが口笛を吹かないことで『歪曲王』でのキャラクターの行動が不自然になるから、そこがすごい不安。
竹田が宮下をブギーポップなのか宮下本人なのか判断する材料の一つでもある。
ブギーポップが口笛が吹けるのに対して、宮下は口笛が吹けない。それも吹くのはマイスタージンガーというこれまた吹くのが大変な曲。
このブギーポップが口笛でマイスタージンガーで吹くことで竹田に与えたブギーポップを認識する役割は『歪曲王』に関わる。正直そこしかないのだけど、竹田がブギーポップがいると分かる判断材料としてはとても大きい。(ここまで考えるのは私の考えすぎかな?)
『歪曲王』の落ちに触れてしまうのは許して欲しい。
『歪曲王』ではムーンテンプルという建物で集団が建物に閉じ込められる事件が発覚する。竹田はそこで宮下とのデートの為にムーンテンプルに行くのですが、入る前に建物が締め切られる。入れない中で、妙な現象が起きるわ、宮下に会えない、妙な地震が起きるわで、もしかしてブギーポップがいるのではないかと竹田は思う。妙なことが起きてからムーンテンプルではマイスタージンガーが流れる。そこで竹田はそこに宮下が、ブギーポップがいると確信する。それでムーンテンプルに入り込むんだけど、なんで削っちゃったんかななあ。『歪曲王』までやってくれるのならそれはそれで楽しみなんだけど、確実にこのシーンがないことが確定されて、なんかこう、心底がっかりしてしまった。
ただのブギーポップの処刑用BGMではなくて、竹田が覚えている思い出の一つとして、繋がりの一つとしても機能していたものだったんだがな……。
もう一つ、新刻がマンティコアに襲われていたときに流れていたはずのところでマイスタージンガーが流れなかったことで、『歪曲王』に生じる影響。
さきほども言ったように『歪曲王』の終盤ではムーンテンプルにマイスタージンガーが流れる。それを流したのはブギーポップではなくて、新刻なのだ。
『笑わない』で新刻がブギーポップがマイスタージンガーを吹きながら出てきたのを見たので、彼女もまたマイスタージンガー曲と言えばブギーポップと考えている。
ムーンテンプルで訳あってBGMを流すことになったのだが、その場にブギーポップも新刻と一緒にいて、そこでここで流すならブギーポップの曲を出すべきと思ったのだろうけど……。
マイスタージンガーがない影響でこの二人の行動に確実に改変が行われるのが確実となってしまったけど、歪曲王はアニメ三話に当たる『ハートブレイカー』に続きにも当たり、新刻の失恋にも関わるのだけど、それも一話で出るはずだった新刻の告白が削れてしまって、どうするんだろう。
早乙女君の好意を振るところで歪みのひとつは解消されるとして、その告白してもまだ残る新刻のわだかまり、志朗君の紙木城に対する思いの歪みがされるであろうアニメの『歪曲王』ではどうなるのか、戦闘シーンは個人的に有と思ったのでゾーラギ戦は期待しているけども彼等の歪みであり、心残り、わだかまりがどう扱われるのがが心配。このアニメにおいて不足しているのは登場人物の心理描写が必要以上に削られて、状況ばかりを見せられていて、もったいない。
木村の話を削ったのは納得というか、まあ、削っても問題は本当にないからなあ。原作でも彼が出るのはないし。竹田以上に事件には関わっていないからねえ。
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最初に私はこう書いている。
" このアニメ『ブギーポップは笑わない』を初めて見る方はなんだこの訳の分からないアニメだと思われるだろう。ようこそ上遠野作品へ。これが上遠野浩平先生の世界の一篇だよ。"
きっとこの"わからないもの"はずっと追いかけるのだろうし、上遠野作品が完結するまで終わることは無いだろうし、というかあの作者なら死んでも"終わり"というのを見せてくれない気がする。どこまでも誰かの意思と決意と日常が延々と続いて行くような。まあ、実際笑わないから数千年の間はそれが続いている訳ですが、残念と思うべきか、なんというか、数千年後の世界はまだ語ってくれないんだよな。
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