千条が動かなくなった。瞼が開いたままでもなく、ただ寝ているように見えるので、チップが電磁波によって機能停止した等という訳ではなさそうだ。そもそも、缶コーヒーを買いにいく間に、動かなくなったのだ。もし、このタイミングで千条の動きを封じて狙うならば、何も起きて無さすぎる。彼にしては珍しい無防備な『普通』の寝顔に溜め息をついた。
「…………博士の所に行くか……」
どうにもこうにも、この状態をなんとかしてもらえるのは彼しかいないのだから。
流石に大の男を抱えて来たのだから、いつも来る病院の馴染みの警備員ですら、少し驚いたような顔でこちらを見てきた。そんな事はお構い無しで身分証を提示して、さっさと博士の部屋へ急いだ。
伊佐が部屋に入るなり、やはり本題に入った。
「意識は無いんだな」
ベッドに横たわらせると、千条の瞼を開けて、ライトを当てながら観察し始めた。結果は端的に告げられた。
「寝ている」
「は?」
チップに損傷したのかと、少し心配したというのに、寝ているとはどういうことだと、伊佐の頭には怒りが沸き出てきた。
寝ていると診断され、サーカムに連絡すると、今日はどちらももう上がってもいいと言われた。その代わり千条を部屋に連れて休ませろとのことだった。正真正銘のお守りを任されたのだ。
千条には家がない。この病院にある、サーカムから支給された部屋が、言わば家みたいなものだ。伊佐は千条の部屋の事は知っていたが、入ったことがない。
部屋は至ってシンプルを通り越してまるっきり生活感がない。申し訳程度に置かれた歯ブラシとコップがあるが、それでも病室よりまるで手術室の器具の様な置かれ方だ。
ベッドで寝かせて伊佐は千条が起きるのを待った。博士に起きるまで看てろと言われたのだ。待つ間はやることがなく、手持ちの未処理の書類を片付けることにした。鞄を机代わりにして、時折千条を見ながら書いた。
大方書き終わった所で、千条をちらりと見る。やはり彼は眠り続けている。
ずっと同じ姿勢だったからか、体が軋む。あまり病院の中は探索等出来ず、仕方がないので、窓でも開ける事にした。肌寒さはあるものの空気の入れ換えによって、意識が澄んでくる。体を傾けたり、前屈をしたりと、ストレッチをすると
「伊佐」
今の体操を見られても若干顔が熱いが、なるべくそれを表に出さないように冷静に振り返った。
「起きたのか」
千条は何事も無かったかのように腕を伸ばして、体を解した。
「まったく博士も無茶な事を言うよね」
「お前博士に何を言われたんだ」
伊佐が知らぬ合間に何か指示をされたらしい。
「『限界まで起きて活動してろ』だよ。聞いてない?」
力が抜けて、窓にすがるようにズルズルしゃがむ。
「聞いてない」
「まあ、実験としては4日と決めていて、その間は事務処理だけしてろと言われたからね。負担は軽かっただろう?」
事も無げに、千条はベッドから下りて、伊佐に近づく。伊佐には目を向けずに、窓辺の人形に触れる。
伊佐は、少し安心した様な表情に珍しさを感じて、まじまじと見てしまった。
「千条、それは……」
人形は掌に収まるほどの大きさで、二体ある。男の人形と、女性の人形。人形はそれぞれ何処と無く千条と彼の姉に似ている。
「 西秋有香に作って貰ったんだ。部屋に何もないと言ったら、部屋に出迎えてくれるのがあった方がいいよってね」
照れ臭そうに笑いつつ、人形と伊佐言った。
「ただいま」
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