呼び声

 うっすら明るい空の下で荒野を歩く筒がいる。
 歩く度に形は崩れ、体はぼろぼろと何かの固まりとして落としていく。
 歩きながら、視界の端々では見たことがある死体が転がっている。
 死体は白衣を着た女性、高校とおぼしき制服を着た女子学生。男子学生もいる。更に、転がる死体には人ではない何かも転がっている。何かの巨大な肉片は巨大すぎるあまり、ぱっと見るだけでは何か分からないだろう。恐竜の舌である。仕止め損ねた為か、それともまだ“向こう側”で生きているのか、切られた下はびくびくと動いている。転がる死体では唯一動いている。
 思ったよりも多くないなと呟くと唇の端がぴしりと罅がはいる。
片手を上げて、唯一の友に呼び掛ける。
「竹田くん、聞こえるかい」
一つ音を出すだけで皮膚は裂け、体の崩壊もより早くなる。道中は両手両足はボロボロの肉片を付けてたような状態だったが、それでも動かせていた。
それが今や、両足は完全に消失し、借りていた体を模した肉体はスカートの裾からは足が見えなくなっている。
 意識だけ遠くに飛ばし、彼がいる場所を見る。
 かつて話していた屋上だった。後ろ姿だけ見える。彼には一切気づかれていないのだろう。しきりに周囲を見渡すが、あたりは夕焼けで影が濃くなって見づらくなっている。
 幾度か名前を心の中で呼ぶ。しかし、言葉に出して呼ぶのと、心の中で呼ぶのは同一のことらしい、体の崩壊は止まらない。
 これだけ呼んでも彼は気づくことが出来ない。
 とうとう帽子の一部から下と口までしか無くなった。もう彼の姿は見えてはいないが、そこにいるのは分かる。
 どうやら、最後に言えるのは一言だけらしい。
 彼はどの位置にいるだろう。聞こえることはないだろうが、せめて彼に向けて言いたい。
 既に崩れ落ちた腕をあげるイメージをする。
「…………」
僅かに口角を上げて、筒は消えた。

*****

 竹田啓司は数日前から何かに呼ばれた様な気がしていた。毎晩不思議な夢を見ていた。マントが引きずる音と口笛、見えるのは足元だけだったが、彼には分かった。
 その夢は訪れる場所によって鮮明に聞こえるところと聞きづらいところがあることに気づいた。不思議とその夢は限りがある。
 その夢で聞こえる口笛は起きている間でも聞こえるようになった。
 勤め先には有給を取り、口笛が鮮明に聞こえる場所を探した。
 探していくうちにかつて通っていた高校に着く。
 時刻は夕方。今日は平日にも関わらず人はいない。休校なのだろう。
 やけに人気がない校舎に怯えつつも、進む度に鮮明に聞こえてくる口笛の懐かしさに目が熱くなる。
 屋上は鍵が掛かって、開けられなくなっている。
「ああ!くそ!」
長年使われなかったのだろう、錆びた鍵は簡単には開いてくれない。毒づきながら解錠した扉を乱暴に開ける。
 周囲を見渡すが、そこには誰もいない。
 竹田はらしくなく焦る。間違いなく彼はここにいる。それは確実なことなのに、どこにいるのかわからないのだ。自分に特殊な能力でもあればすぐに分かるだろうか。
 柵に駆け寄り下を見るがやはりいない。
「呼ぶくらいなら出てこいよ!俺は
、俺は……」
 あれが最後の別れではないと分かった
「…………」
 竹田ははっと後ろを振り向く。
 屋上の出入り口の丁度日陰になっているところにぼんやりと黒い筒のようなものが見える。口許だけなんとか捉えることができるが、他は黒く何かに塗りつぶされている。
 竹田は視界が歪み、目を擦る。確かに、確かに彼だ。会った頃とは違う姿をしているが、確かに彼だとわかる。
 一歩影に近づく。影は消えることもなくしっかりと存在している。何か口許をもそもそと動かし、何か言っているが、聞くことが出来ない。
「なあ、お前いままでどこに行っていたんだよ。いないと思ったら急に呼び出して、どうしたんだよ」
影の肩を掴む。借りていた体と同じで華奢な肩だ。しかし、衣類の感触ではない。空気の塊のような、何かある感覚としか分からない。
 そもそもと口を動かしていた影は一瞬止まる。何かを探すように首を左右に振り、竹田に向ける。
 竹田は生唾を飲むのを必死に我慢する。彼の言葉を聞き逃してはならないと。
 午前中に降った雨の影響か、夕日が反射して、アーモンド形の目が竹田を捉えているのが見えた。
 影は片腕を上げて、竹田の体をすり抜ける。何も感触はない。上げた片腕は竹田の顔の位置で止まる。
 彼女と同じ姿の彼は竹田の頬を撫でる。
「ブギーポップ」
影は呼び声に反応したかのように瞳が光る。
「竹田君、」
 はぎこちなく口角を上げて消えていった。

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