十万馬力

 方や、十人程のヤクザ、方や細身の青年。多勢に無勢である。見た目であれば、どうみてもヤクザの方が優勢である。これが、およそ十分前の光景である。

「伊佐はなんとか捕まえられたかな?」

青年は、飄々とつぶやく。

 十分後の現在。ヤクザは一人として起き上がっていない。青年は黙々とヤクザ達を拘束している。身なりこそ少々乱れている物のまったくダメージを負っていないようだ。

「早く戻ってきてくれるといいけど」

 青年はポケットから通信機器を取り出し、何やら操作しだした。

 ヤクザの一人がのそりと起き上がったことに青年は気が付いていない。

 青年、サーカムという保険会社の調査員の千条雅人は、ただの人間ではない。以前脳にダメージを負い、特殊なチップを埋め込まれている。先程、どうみても不利な状況であったヤクザとの応戦も、チップを埋め込まれているから出来た芸当である。武芸の達人のモーションデータが内蔵されており、それを以てヤクザを倒したのだ。チップには様々なデータ、及び演算システムがあり、それゆえに『ロボット探偵』とも呼ばれている。

 千条から発せられた、伊佐という人物は千条の言わば相方である。千条の脳に埋め込まれたチップは人とのコミュニケーションにおいては少々モノを知らない為、伊佐は状況に応じで教えている。伊佐はサーカムから千条を組まされた理由をはっきりと知らされていない。

 伊佐は現在あるものを追っている。それはサーカムから命ぜられたことと、伊佐自身が決めたことである。

 千条をヤクザ退治に任せた伊佐は、目に見えない敵を追いかけている。商店街を過ぎ去る様は見えない。見えないが、解る。町の住民は知らずに、そいつをいないものとして『避ける』のだ。万人の眼にはそいつの姿は全て異なって見える。時として、見えないことさえある。それでも、「人物」として見えるのである。伊佐を除いて。

 商店街を過ぎ、森林公園にしては広い公園に入った。霧が深く、迷子になってもおかしくはない濃さである。磯の臭いから、ここは海が近いことが分かる。奥へ、奥へ、突き進むと岩礁に出た。あたりは木々が燃え尽きて大火災が起きたところらしい。伊佐は、岩礁のボートのような岩に立った。

「いいのかい?」

突如として、どこからか声が聞こえた。伊佐はあたりを見回すが、誰もいない。そいつも見えない。焦る伊佐を無視して、声は続く。

「そこは冥府から蘇った者が最後を迎えた場所だよ。君はもうこの世とおさらばしたいのかな」

知らずに危険な区域に入った鼠を相手にするような、哀れみが伝わる声だ。

「場所なんて関係ない。いい加減姿を現せ」

伊佐は気配を必死に探ろうとするが、声の聞こえる方角が解らない程にそいつの居場所がつかめない。

「もし、この場で姿を現すなら死神だよ」

この瞬間に声と気配は完全に消えた。またしても逃げられたのだと嫌でも分かった。

 悔しさに地面を殴りつけたかったが、けたたましく鳴りだした通信機器の音で遮られた。ディスプレイを見ると、千条の名前がある。

「伊佐!」

出ようとした途端に通信相手が出てくるものだから、この通信機器は意味があるのかと思ってしまう。伊佐は通信機器をポケットにしまうと、千条のもとへ向かう。

近づいて伊佐は千条の異常に気が付いてぎょっとなった。腕に大きな切り傷がある。別れる前に見たヤクザの人数から見て、千条なら全員相手に出来る範囲の人数と判断し任せたが、どうも誤算だったようだ。

「千条!傷を負ったなら、すぐに釘斗博士の所へ行け!俺への連絡はあとだ」

 頭ではないのはまだ良かった。すぐさま、博士の元へ行かせようと車まで戻ろうとする。

「伊佐、ペイパーカットはどうなったんだい」

己の傷のことはお構いなしに千条は、二人が追う目標を言う。

 伊佐は苦虫を噛み潰したような顔で答えた。

「逃げられたよ」

「そうかそれは残念だったね」

千条は伊佐の心中をまるで顧みずにあっけらかんと言う。

「また捕まえるさ」

伊佐は千条の頭を撫で、励ますように言った。伊佐はこの千条の態度に怒りはしない。これが誰かと一緒であれば注意するが、優先すべきは千条の傷の手当である。

 伊佐が運転する中、千条に訊いてみた。

「あの人数を相手にするのは難しかったか?」

千条は痛みにおいても、反応が鈍い。以前、それで肩の骨を折ったことがある。

「無理をするなよ」

 車に戻る途中に自販機で買った缶コーヒーを手渡す。

「心配ないよ。伊佐が呼んでくれたら、僕も十万馬力ってやつを出せるようだからね」

そう言うと、千条は歌いだしたので、伊佐は飲みかけた珈琲を噴きだした。まさかこんなところで、有名なロボットの少年の歌をここで聞くとは思わなかった。

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